シュルーズベリー伯爵(シュールズベリーはくしゃく、英語: Earl of Shrewsbury)は、イングランド貴族の伯爵位。地名の Shrewsbury には「シュルーズブリ  ( 音声ファイル) 」と「シュロウズブリ  ( 音声ファイル) 」の二通りの発音があるが、爵位としての発音は後者である。

過去に2度創設されており、現存する2期目のシュルーズベリー伯爵位は、百年戦争のイングランド軍司令官ジョン・タルボットが1442年に叙されたのに始まる。

歴史

第1期のシュルーズベリー伯爵

征服王ウィリアム1世の側近としてノルマン・コンクエストに尽力したノルマン人ロジャー・ド・モントゴメリー(-1094) が1071年頃に叙されたのが最初の創設である。しかしその次男である3代伯ロバート・オブ・ベレーム(1052–1113) は、ノルマンディー公ロベール2世に与してヘンリー1世に反逆したため、1102年に爵位を接収されて国外追放処分となった。

第2期のシュルーズベリー伯爵

1420年から百年戦争に従軍してイングランド軍の指揮をとった第7代タルボット男爵・ブラックミアの第10代ストレンジ男爵ジョン・タルボット (1390頃–1453)が、1442年5月20日に叙されたのが現在まで続く第2期のシュルーズベリー伯爵位の創設である。 1444年にイングランドに帰国し、1446年7月17日にはアイルランド貴族爵位のウォーターフォード伯爵にも叙せられている。1452年にガスコーニュ奪還のために遠征軍司令官として再度フランスに赴いたが、カスティヨンの戦いで敗死した。

その息子の2代伯ジョン (1413–1460) は、母モード・ネヴィルからファーニヴァル男爵を継承した。薔薇戦争において1460年7月10日のノーサンプトンの戦いで国王ヘンリー6世軍の側で戦ったためにヨーク派に敗れて敗死した。

その孫の4代伯ジョージ(1468–1538) は、1506年から1538年にかけてテューダー朝のヘンリー7世とヘンリー8世の王室家政長官を務めた。1513年にはフランス侵攻軍に中将として従軍。1520年の金襴の陣にも出席した。

その孫の6代伯ジョージ (1528–1590) は、ノーサンバーランド公ジョン・ダドリーによるジェーン・グレイ擁立に手を貸したが、メアリー1世に許しを乞うて赦免された。エリザベス1世の下でも信任を維持した。1568年にイングランドに亡命してきた元スコットランド女王メアリー・ステュアートの監視者を1584年まで務めた。1571年のリドルフィ陰謀事件の際にはメアリー・ステュアートの尋問にあたり、第4代ノーフォーク公トマス・ハワードの裁判の判事も務めた。1573年には軍務伯に就任。1586年10月のバビントン事件ではメアリー・ステュアートの裁判の判事の一人となっている。

その息子の7代伯ギルバート(1552–1616) は、襲爵前の1572年から1583年までダービーシャー選挙区選出の庶民院議員を務め、1589年に繰上勅書で父存命にしてタルボット男爵を継承して貴族院議員となっている。7代伯まで親から子への直系で続いていたが、7代伯が男子を残さずに死去したため、男系男子に限定されるシュルーズベリー伯爵位とウォーターフォード伯爵位はその弟エドワード(1561–1617) が継承し、議会招集令状によって創設された爵位(男子なき場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能)であるタルボット男爵位・ブラックミアのストレンジ男爵位・ファーニヴァル男爵位は、7代伯に女子が3人あったことから保持者不在 (abeyant) になっている。8代伯も襲爵前の1586年から1587年にかけてノーサンバーランド選挙区選出の庶民院議員を務めている

8代伯が子供なく死去すると2代伯に遡っての分流であるジョージ・タルボット(1567–1630) が9代伯を継承した。9代伯も子供なく死去したため、甥にあたるジョン(1601–1654) が10代伯を継承した。

その孫である12代伯チャールズ (1660–1718) は、名誉革命後の政界でホイッグ党、のちトーリー党の有力政治家として活躍し、1694年にはシュルーズベリー公爵に叙せられたが、子供がなかったため、この公爵位は一代で絶えている。一方シュルーズベリー伯爵位は従兄弟ギルバート (1673–1743) に継承された(13代伯)。13代伯以降も男子のない当主が続き、伯父から甥への継承が続いた。

18代伯は、2代伯の孫ジョン・タルボットからの分流の第3代タルボット伯爵ヘンリー・チェットウィンド=タルボット(1803–1868) が継承したため、以降タルボット伯爵位(及びその従属爵位のインガスター子爵位とタルボット男爵位)も併せて継承するようになった。

以降は2016年現在まで18代伯の直系で続いている。2016年現在の当主は22代シュルーズベリー伯チャールズ・チェットウィンド=タルボット(1952-)である。

一族の本邸宅は1924年まではアルトン・タワーだったが、それ以降はスタッフォードシャーキングストンにあるウェンフィールド・ホールである。紋章に刻まれるモットーは"Prest d'Accomplir"(Ready to accomplish, いつでも成し遂げることができる)。

現当主の全保有爵位

現在の当主チャールズ・チェットウィンド=タルボットは以下の爵位を所持している。

  • 第22代シュルーズベリー伯爵 (22nd Earl of Shrewsbury)
    (1442年5月20日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • 第22代ウォーターフォード伯爵 (22nd Earl of Waterford)
    (1446年7月17日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第7代タルボット伯爵 (7th Earl Talbot)
    (1784年7月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第7代インガスター子爵 (7th Viscount Ingestre)
    (1784年7月3日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) ※法定推定相続人の儀礼称号
  • グラモーガン州におけるヘンソルのヘンソルの第9代タルボット男爵 (9th Baron Talbot of Hensol, of Hensol in the County of Glamorgan)
    (1733年12月5日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

爵位保有者一覧

シュルーズベリー伯 第1期 (1071年頃)

  • 初代シュルーズベリー伯ロジャー・ド・モントゴメリー(-1094)
  • 2代シュルーズベリー伯ヒュー・オブ・モントゴメリー(-1098)
  • 3代シュルーズベリー伯ロバート・オブ・ベレーム(1052–1113) (1102年剥奪)

シュルーズベリー伯 第2期(1442年)

法定推定相続人は現当主の子であるインガスター子爵(儀礼称号)ジェイムズ・リチャード・チャールズ・ジョン・チェットウィンド=タルボット(1978-)

家系図

脚注

出典

参考文献

  • 石井美樹子『エリザベス 華麗なる孤独』中央公論新社、2009年。ISBN 978-4120040290。 
  • キング, エドマンド『中世のイギリス』慶應義塾大学出版会、2006年。ISBN 978-4766413236。 
  • 浜林正夫『イギリス名誉革命史 下巻』未来社、1983年。ASIN B000J7GX1Y。 
  • 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。 

関連項目

  • タルボット伯爵
  • タルボット男爵
  • ライル子爵
  • ファーニヴァル男爵
  • ブラックミアのストレンジ男爵

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旅行写真:2015年のシュルーズベリー Shrewsbury(イギリス・シュルーズベリー) ドミナゴのブログ

アラベラスチュアートからシュルーズベリー伯爵夫人への手紙、1865年後半〜17世紀初頭。

ヘンリー6世がシュルーズベリー伯爵に剣を贈った、c1445、1843年。

ベス・オブ・ハードウィック」として知られるシュルーズベリー伯爵夫人エリザベス・タルボットのポートレート