耶律仲禧(やりつ ちゅうき、生没年不詳)は、遼(契丹)の政治家。もとの姓は李。南京析津府の人。子は耶律儼。孫は遼の宰相の耶律処温。

経歴

重熙年間、初めて出仕した。清寧初年、同知南院宣徽使事となった。清寧4年(1058年)、鴨子河・混同江の間に築城し、北院宣徽使に任じられた。咸雍初年、誤った上奏をおこなったため、楡州刺史として左遷された。まもなく旧職に復し、漢人行宮都部署に転じた。

咸雍7年(1071年)12月、朝廷から国姓の耶律姓を賜った。咸雍8年(1072年)12月、韓国公に封じられた。咸雍9年(1073年)8月、南院枢密使に転じた。太康3年(1077年)、耶律乙辛らが皇太子耶律濬を誣告すると、仲禧は耶律乙辛らに都合のいい調査結果を提出し、皇太子一派を冤罪に落とすのに一役買った。太康4年(1078年)11月、広徳軍節度使に任じられた。太康6年(1080年)3月、再び南院枢密使となった。死去すると、諡は欽恵といった。

伝記資料

  • 『遼史』巻98 列伝第28

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