ねじりまんぽ(Skew arch)とは、アーチ橋を斜めに架けるための組積造の技法である。
専門用語では斜架拱(しゃかきょう)と呼称する。
概要
ねじりまんぽとは、明治・大正期に建設されたレンガ構造の土木構造物で、トンネル状の斜めアーチを煉瓦・石材により組積造で構築する技法の一つである。斜架拱の一種。ねじりまんぽの「まんぽ」は近畿地方でトンネルのことを指す方言で、マンボ、マンプウ、マンボウなどとも言われる。
ねじりまんぽは、海外では鉄道の普及より前、19世紀以前には既に存在していたと考えられており、一説にはルネサンス期の1530年代、イタリア・フィレンツェのムニョーネ川に架かるPonte Rossoが最初期のねじりまんぽともいわれている。鉄道構造物としてのねじりまんぽの初期の例としては、1829年建造のイギリス・マージーサイドにあるレインヒルのアーチ橋が知られている。
日本国内では、日本における本格的鉄道技術の出発点である、明治7年(1874年)開通の東海道本線・大阪‐神戸間でお雇い外国人のイギリス人技師によって初めて採用された。明治10年(1877年)5月、明治新政府は大阪駅構内に鉄道技術者の育成機関、工技生養成所(工部省鉄道局工技生養成所)を設立した。工技生養成所ではイギリス人鉄道技師により数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・運輸大要などの教育が行われた 。ねじりまんぽも、この工技生養成所出身の技術者たちの活躍により日本各地へ広がっていった。ねじりまんぽの多くは近畿圏に存在するが、北は新潟県から南は福岡県までの日本列島の広い範囲で建造された。明治期には普遍的な技法であったが、大正初期、コンクリート橋の普及により、ねじりまんぽの建設は途絶えた。
日本では前述の理由により鉄道構造物としての採用が殆どで、琵琶湖疏水蹴上インクラインのものは鉄道以外では希少な採用例である。
日本のねじりまんぽ
日本国外のねじりまんぽ(Skew arch)
脚注
参考文献
- 小野田滋、山田稔、井上和彦、松岡義幸「わが国における鉄道トンネルの沿革と現状 (第3報)」『土木史研究』第10号、土木学会、1990年、NAID 130004038141。
- 小野田滋、河村清春、須貝清行、神野嘉希「組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究」『土木史研究』第16号、土木学会、1996年、NAID 130004038298。
- 小野田, 滋「阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴」『土木史研究』第20号、土木学会、2000年、NAID 130004038573。
- 小野田滋『鉄道と煉瓦』鹿島出版会、2004年。ISBN 4306077047。
- 小野田滋『関西鉄道遺産 : 私鉄と国鉄が競った技術史』講談社、2014年。ISBN 9784062578868。
- 河村清春、小野田滋、木村哲雄、菊池保孝「関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」『土木史研究』第10号、土木学会、1990年、NAID 130004038162。
- 辻良樹『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング、2007年。ISBN 9784533069086。



