ルイス・メルセデス・エスコバル・サンチェス(Luis Mercedes Escobar Sánchez、1953年8月24日 - 2005年2月4日)は、ベネズエラ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。読売ジャイアンツでの登録名は「L.サンチェ」。
経歴
1971年に17歳でヒューストン・アストロズと契約するもしばらくは芽が出ず、メジャー昇格もなかった。
1975年にシンシナティ・レッズに移籍。そこでもメジャーでの登板はなかった。
1980年にはリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルにも登板した。
1981年にカリフォルニア・エンゼルスと契約。4月に待望のメジャー初昇格を果たし、リリーフ投手として活躍。
1983年には10勝7セーブ、翌1984年には9勝11セーブと活躍した。
1985年オフにモントリオール・エクスポズに放出された。
1986年の春季キャンプ期間中に読売ジャイアンツに入団(当初巨人はデーブ・スチュワートの獲得を目指していたが、トラブルから獲得を断念しており、その代わりとしての入団だった)。クローザーとして期待通りの活躍を見せ、特に被本塁打はわずかに1本だった。しかし、オールスターゲーム第1戦で右肘を痛めてから失速。また、フォーム改造を巡り、投手コーチの皆川睦雄を「現役時代アンダースローだったそうだが、彼にオーバースローが指導できるのか」と批判し、30万円の罰金を科されるなどトラブルメーカーの一面を持っていた。また、同じスパイクを履き続けた(当人はかなり足が大きく、当時は彼の大きさに合ったスパイクが少なかった)ことにより、足白癬を発症。
1987年は不振に陥り、クローザーの座を鹿取義隆に明け渡し、結局この年限りで退団。
2005年2月4日、脳血管疾患のためベネズエラで死去。51歳だった。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- NPB初記録
- 初登板・初セーブ:1986年4月6日、対ヤクルトスワローズ3回戦(後楽園球場)、9回表2死に4番手として救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:1986年4月12日、対阪神タイガース1回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に嶋田宗彦から
- 初勝利:1986年5月10日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、8回裏に4番手として救援登板・完了、2回無失点
- NPBその他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (1986年)
背番号
- 40 (1981年 - 1985年)
- 20 (1986年 - 1987年)
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 S
- ベネズエラ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
- 中南米出身の日本プロ野球外国人選手一覧#ベネズエラ
- 読売ジャイアンツの選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 L.サンチェ - NPB.jp 日本野球機構




